500355 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

しの~445

しの~445

手術は成功。

1999年(H11年)7月28日入院、8月3日手術。
(もう少し早く入院を希望しましたが、ベットの空き待ちになってしまった)

思い起こせば、あの年の7月初旬、静岡の病院で19才の方が、私と同じ股関節の手術をされましたが、手術中において、動脈切断というアクシデントにあわれて、お亡くなりになりました。この手術の一番怖いとされているところです。
私も家族も、少しは不安がありましたが、治ると信じて決心しました。

H11年6月28日 入院申し込み。
7月、娘の期末試験後、午後の授業がなくなり次第入院を希望。
予定では、7/20日前後に手術をお願いしてましたが、そんなに上手くベットの空きがなく。
7月28日 入院。
採血、400cc。
手術中の輸血は、普段から献血に参加してる自分の血を使って欲しいと希望しました。手術に用意する輸血用血液は、400cc~800ccだと聞いて、800ccを用意して欲しかったのですが、入院日数が短くて、一度に採れる血液は400ccでした。
先生からは、輸血用の準備はできているから心配いらないと。
8月3日 午後1時から手術。
全身麻酔の為、主人に対する説明は「手術には全力を尽くしますが、何が起こるかわかりません。もし手術そのものが成功しても、全身麻酔は麻酔が切れるまで、安心できません。」私は、手術が上手くいかなければ車椅子生活も覚悟の上でしたが、麻酔による後遺症は、全く想像つきませんでした。
私が、麻酔から覚めたのは夕方でした、まだ気分はもうろうとしていて記憶は定かではありません。
後日、先生からの説明で「とても上手く、手術は成功しました」
まれにみる早さで、順調に進み、流れ出た血液も150ccと少なくすみ、採血して残った血液は体に戻してもらったそうです。手術時間も切り開いて縫い合わせるまで、2時間足らずでした。この時間は、私の後に人工関節手術された方が5時間以上もかかった事から、私の手術が成功だと喜んでみえた、先生の気持ちがよくわかりました。
ただ、私は日頃から血圧は低い目で100前後でした。普段は貧血を起こすこともなく健康でしたが、術後は85から上がらず、血圧を上げる為の点滴をすると、私の身体が”しんどがり”苦しむ為、徐々に回復するのを待つ事に。こう判断されるまで、数日点滴や薬で試行錯誤をしながら体調を戻そうとされて、私の身体が苦しむ数日を、看護婦さんや先生にかなり御心配かけてしまいました。体温も38℃以上から平熱になるまで、数日要しました。一つの救いは、麻酔が切れてからの痛み、これをみなさん心配してくれましたが、私は高熱で意識朦朧の日々が幸いしたのか?「痛みは?」と毎日の検診で聞かれても、苦しむほどの辛い痛みはなかったのでした。
8月9日、体温も平熱が続くようになり、血圧もやっと100まで上がり、順調に食欲も出てきました。ここで先生から、体重を減らすことが、人工関節の寿命年数に大きく関わります。ビタミン類は必要ですからおかずは残さず、ご飯は食べなくてもいいです~ご飯好きの私には、最初は辛いとも思いましたが慣れると、3食頂けるから苦痛ではありませんでした。結果、退院時は入院時より8キロ減らす事ができました。この事も、M先生のおかげです。
今、プールで会う同じ病名の方達と私とのリハビリ方法に違いがあり、私の順調な身体が羨ましいと言われますが、このこともM先生のおかげだと思ってます。

人の身体は、数日寝たままで居ると、全ての筋肉が弱り、ベットから降りる事もままならず、車椅子に乗れるようになるまでにも、ベットの上で足に筋肉をつけるリハビリを必要としました。(このことは、お産以外で入院した経験のない私には驚きの出来事でした!何事も経験ですね)
8月17日、予定では車椅子に乗れると思ってましたが・・足が下につける状態ではなく(泣)ベッドで足に筋肉をつけるリハビリに励みました。筋肉がついてないと、人は立つ事もできない!(この事も発見)8月19日やっと、車椅子で部屋から出られた!!とても嬉しくて、嬉しくて、今でもあの日の感動は覚えています。


© Rakuten Group, Inc.